折り合いをつける 番外編
折り合いをつけるという話を書いているうちに、ふと思いついたことがあります。それは私のもう一つの仕事である寺の住職としてのお話です。ちょっと書いてみますね。
私の寺は浄土真宗といい、親鸞聖人が開いた宗派であります。浄土真宗は実はかなりキリスト教に似ている構造を持っており、皆さんの一般的な感覚と少しずれているところがあるのです。いろいろあるなかで今回はお盆の話をします。
浄土真宗には「お盆」が実はないのです、と書くと驚かれるかもしれません。真宗では人が亡くなると西の空のはるかかなたの遠くにある極楽浄土に行かれ、そこは一番良い場所なので戻ってくることがないのです。ですからご先祖様らの魂を迎える、送るということはないのです。でも、実際には私の寺でも新盆参り、つまり昨年のお盆の後に亡くなられた方のお参りをしており、しっかりとお布施もいただいているわけです。若いころは悩みました。これって何!という感じです。
また盂蘭盆経という中国で作られたお経がありそれは日本で大変受けたのです。その中にこんなことが書いてあります。お釈迦様の弟子のなかで十人の偉いお坊さんがいらっしゃいました。その中のひとり目連さんは超能力が使えるのです。ある時に自分の母親が死後幸せに暮らしているのかを透視の能力で見てみました。そうしたら一番良い世界である天上界におられません、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄と下がってくる中で、餓鬼道におられて、いつもお腹をすかせて食べ物を探してやっと見つけたと思ったぼっと燃えてしまう。あるいは頭を下にして逆さづりの刑にあっていじめられている。目連さんはこれは大変だと自分の超能力で何とかお母さんを幸せにしてやろうとしましたができません。そこで先生であるお釈迦様にどうしたらお母さんが幸せになれるか尋ねたのです。お釈迦様はこんな話をしてくれました。インドには春から雨期になりお坊さんたちはむやみに外を歩くとミミズや昆虫などを踏み殺してしまうので、それを避けるためにみんな一か所に集まって勉強をする、これを安居(あんご)といいます。それが明けるのか7月15日。その日にお坊さんたちは何百、何千人と集まってお経をあげるので、その時にお供え物を上げたり、お坊さんの衣を寄進したりして、お母さんが幸せになるようにお坊さんたちにお願いをしてみなさいと教えてくれたのです。そうして7月15日、目連さんとその親戚みんなでお供え物や寄進の品を持ってお坊さんたちにお願いに行って読経をしていただいたところ、亡くなったお母様は一番美しい天上界に移られたのです。目連さんと親戚の人々はあまりに感動して踊りだしてしまいこれが盆踊りのはじまりと言われているのだそうです。
あまりにうまくできた話なのですが実は私は結構好きなのです。この盂蘭盆経は偽経といわれています。つまりインドで作られたお経ではなく中国で新しく作られたのです。中国人が勝手に考えて作ったものなのです。それが日本に入ってきてとてもに人気が出たのです。私は、誰かが亡くなった後も残された家族の振る舞いによって亡くなった人が幸せになれるという点においてとても好きなのです。つまり亡くなった人と私たちはつながっているという考えなのです。でもこれはインドの仏教とも浄土真宗の教えとも違うのです。
何を言いたいというと、こんな風にして中国人も日本人も仏教というものに折り合いをつけてきたという歴史なのではないかということです。インドの仏教と日本のそれとは違っているのです。ある意味日本教になっているのです。でもそれで良いのではないでしょうか。折り合いをつけてきたという歴史なのだと理解しているのです。